備忘録:三十俵二人扶持
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今読んでいる本で、その実体として手取り収入がどの程度になるかを書いていたので備忘録として記録しておきたい。
その本は『ある文人代官の幕末日記』でその人は林伊太郎(鉄蔵・鶴梁)。記録は嘉永5年(1852年)2月29日。春期2月分4分の1の受領。ただし彼は御家人ではなく御目見格の旗本ではあるが、家禄はわずか二十俵二人扶持ながら新番役についていて役高二百五十俵を得ていた。受給権は家禄+役高だと思っていたのだが、どうも役高に満たない場合に役高まで引き上げるだけでこの場合250俵分しか受けられないようだ。これを札差(蔵宿)板倉屋治兵衛から受取ことになる。
以下本の記述による。
まず前回の記述では「1俵=4斗」としていたが、このときは「1俵=3斗5升」と12.5%ほど少なくなっている。
250俵=875斗=87石5斗。この解き受け取るのはこのうち4分の1で、21石8斗7升5合。ただし全額米で受け取るのではなく、一部を金、銀にして受け取っている。が、銀は換算だけで受取は金貨なのでわかりにくい。ややこしいことにまず一旦別の尺度の俵で換算している。
「1俵=5斗1升」すると21石8斗7升5合は42俵4斗7升5合。米価が100俵=40両2分(5斗1升俵)というのが張紙値(公定価格?)。
これを金石すなわち現金受領が10石7斗6升9合2勺3才(俵換算で21俵0斗5升9合2勺3才)、残り11石1斗0升5合7勺7才(のはずだが記録では残石11石1斗3升0合7勺7才)。俵に換算すると、21俵3斗9升5合7勺7才(のはずだが記録では21俵0斗2升0合7勺7才)。これを7俵だけ現米で受取り、残りの14俵2斗2升0合7勺7才(と記載されているがその前の記述から計算すれば14俵0斗2升0合7勺7才のはず。計算が合わない)は売却して現金で受け取っている。その額は現金受給分が8両2分余りのはずだが、12両と記載されている。売却分も6両弱のはずが8両2分1匁4厘と記載されている。いずれにしろ7俵の米と20両2分1匁4厘が4分の1年分の年俸ということになる(手数料10匁が引かれる)。
もっとも借金の返済があるので手取りはこんなものではない。実のところ借金額は57両余りあり、借り換えなければならない額であった。
正確な計算ができないがこの分でいくと幕末の250俵取りの侍の年俸は82両強ということになりそうだ。
同じ本の別の所で計算によると、役高250俵は87.5石、張紙値換算で69.5両。ただし売却米は金石とは違う価格によるらしくもう少し高くなると書かれている。いずれにせよ1両4万8千円換算で年収319万円。
我らが三十俵二人扶持の場合の年収は以前(4斗俵で計算してだが)39俵としていた。これを現金換算に必要な5斗1升俵にしてから計算すると39俵=1560升だから30俵3斗ということになる。その金額はおよそ12両1分。年収12両となり、換算すると58万円強となりかなり少ない。若手芸人並みである。
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